戦争の終わらせ方に二つあり敵を打倒か敵と妥協か

(写真:BS-TBS報道1930より)

(1)敵を完膚なきまでにたたきつぶし
将来への危険をも排除して完全勝利
という終わり方が一つ
(打倒)

(2)しかし、それは不可能なので、あるいは
あまりにも多くの犠牲を払わなくてはならないので、
交渉をし、お互いの落とし所を見出して終える
というのがもう一つの終え方である
(妥協)

(1)は将来の危険を除去できるが、多大の犠牲を払う
(2)は将来に危険を残すが、犠牲は抑えることができる

状況が不利なのに(1)にこだわりすぎると
犠牲を出すだけで大敗を喫してしまいかねない。

早々と(2)に走ると犠牲は抑えられても
将来にわたって危険が残る。

状況を見極めて
そのバランスをとらなくてはならない。

ウクライナも今後
どうなるか分かったものではない。

千々和泰明氏の『戦争はいかに終結したか』(中公新書)
は刊行直後に期せずしてアメリカが
アフガニスタンから撤退して注目されたというが
今はウクライナの状況を浮き彫りにする
ひとつの分析モデルともなっている。

TBS-BSの報道1930に本人が出演して解説していた。

『戦争はいかに終結したか』/千々和泰明インタビュー
https://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/118056.html

今のところゼレンスキー・ウクライナと
それを支援するアメリカなどNATOは
(1)敵の撃滅を追求中のようだ

ゼレンスキーは交渉の用意もあると明言し
(2)の余地も残してはいるようだったが
ここにきて戦闘目的をより野心的なものに
変更したかにも見える
『目標をずらし始めたウクライナ〜東部全土にクリミア奪還』 
https://noraneko-kambei.blog.ss-blog.jp/2022-05-18

プーチン・ロシアは(1)ゼレンスキー政権の除去を
首都を数日で陥落させて達成するつもりだったが
思いのほかの抵抗にあい、
戦争を終えることができずにいる。
首都キーウを諦め、
ウクライナ東部〜南部の制圧に注力中。

ウクライナ、ロシア、共に多くの犠牲を出しながら
共に(選択1)を追求中というところ
のようである。

第2次世界大戦では1940年
ドイツに攻め込まれたフランスが
早々と降伏した。(選択2)である。

しかしイギリスは徹底抗戦した。
(1)であり、アメリカの参戦を引き出し
最終的にナチスドイツを撃滅。

連合軍は多大の犠牲を払いながらも
将来の危険をも除去したのだ。

これが千々和氏のいわゆる
「紛争の根本的解決」

イギリスでは開戦か否かの閣議
外相のハリファックス卿が
ドイツとの和平(選択2)を唱えたが
チャーチルが徹底抗戦(選択1)で押し切った

ドイツと陸続きのフランスは
1940年5月にドイツの侵攻を受け
パリを破壊される脅威が迫った
政府はパリを脱出
臨時首都をトゥール、ボルドーと移す中
レノー首相が戦争継続を訴えたが(選択1)
ペタン元帥(副首相)が和平を唱え(選択2)
6月21日にドイツと休戦協定
パリを含む国土の5分の3をドイツが占領した

7月に中部のヴィシーに首都を移したフランスは
ペタンを首相に対独協力国家となり果てた
ド・ゴール准将(レノー政権の国防次官)はイギリスに亡命し
「自由フランス」を結成

11月には先の投稿に書いたアルザス・ロレーヌの
ドイツへの割譲が決まっている
『ロシア/ウクライナと『最後の授業』 』
https://noraneko-kambei.blog.ss-blog.jp/2022-05-15

この年フランス政府はパリを戦火から逃れさせるべく
ハーグ陸戦規約第25条に定める「無防備都市」と宣言したが
1944年8月の連合軍によるパリ解放では戦火に見舞われた
ヒトラーは無防備都市宣言を無視
ドイツ軍に徹底抗戦とパリの破壊すら命じたが
『マリウポリは燃えているか』(2) に書いたように
https://noraneko-kambei.blog.ss-blog.jp/2022-04-23
破滅的な事態は免れた

ウクライナに関して言うと
「反戦自衛官」が首都キーウの
無防備都市宣言を呼びかけている

ウクライナ主要都市の緊急の「無防備地域宣言」を!
小西 誠 2022年3月26日 https://note.com/makoto03/n/nbf9477c3bacb


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朝鮮戦争では
北朝鮮の突然の韓国侵攻
アメリカ軍が「国連軍」という形で参戦
ところが中国の「義勇軍」の参戦を招き
マッカーサーが原爆を使うと言い始めた、、

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1950年1月
アメリカのアチソン国務長官がこう宣言した:
「防衛の外周はアリューシャン列島から日本(…)琉球(…)フィリピン」
世に言う「アチソン・ライン」ーー
アメリカが軍事的に防衛するのはここまでというのである。
朝鮮半島も台湾も含まれない。。

同年6月25日 金日成の北朝鮮軍は韓国に攻め入った。
朝鮮戦争の勃発である。

2021年12月8日は
米バイデン大統領 “ウクライナに米軍派遣の予定なし”
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211209/k10013381251000.html

2022年2月24日 ロシア軍、ウクライナに侵攻。

(アチソンの発言は北朝鮮やスターリン・ソ連の決断に
ほとんど影響はなかったという研究もある)

1950年1月アチソンの宣言した防衛ラインに
朝鮮半島が含まれずに「よし!」
とヨシフ・スターリンと金日成が叫んだ
かどうかは知らないが

同年6月25日 北朝鮮軍が韓国に攻め入って
その3日後にはソウルがあっけなく陥落。
北はソ連が供与したT-34型戦車で爆進、
韓国はその後、首都を大田、大邱、釜山
と移してゆくことに。。

 T-34

7月にアメリカはソ連が国連安保理を欠席しているのをいいことに
アメリカ軍を中心に「国連軍」を名乗って参戦。
(常備軍としてあるべきはずの本来の国連軍はいまだ存在せず
ーーそこが戦争を二度と起こすまいとの反省で作られた非戦のシステム・
国連の今なお未完成の部分、根本的欠陥となっている)
しかし破竹の勢いの北朝鮮軍、
9月には米軍や韓国軍を
釜山周辺に追い詰めた。。

北朝鮮がこのまま(1)の「打倒」
を達成していたら半島は共産主義に統一されていた、、

しかし現地の米第8軍ウォーカー中将は
増援の部隊や装備を待って
徹底抗戦を命じていた。

「Stand or Die 持ちこたえよ、さもなくば死を」

釜山を文字通り死守せよというのである。

「我々は時間との戦いをしている。
後退も撤退も立て直しもない。
撤退して後方に防衛線を設けることはないのだ。
…ダンケルクもバターンもない。
釜山へ後退すれば
史上最悪の殺戮を被ることとなろう。
我々は徹底抗戦せねばならないのだ」

「我々は一丸となって戦う。
我々のうちに死ぬ者が出たら、
我々は共に戦いながら死ぬ。
…我々がこの防衛線を死守することを
各人、理解されたい。
我々は勝利するのだ」

Stand or Die – 1950 Defense of Korea’s Pusan Perimeter
https://www.historynet.com/stand-or-die-1950-defense-of-koreas-pusan-perimeter/

釜山は韓国の徳俵だった
「国連軍」司令官マッカーサーが
ワシントンの米軍幹部の反対を押し切って
北朝鮮の背後を狙って一か八かの奇襲
仁川上陸作戦を敢行

これが成功して北朝鮮軍の補給路を断つ
と同時に北朝鮮軍を挟み撃ち
形勢は一気に逆転

今度は北朝鮮領内に押し入って
韓国の方が(1)「敵の打倒」を達成
かと思いきや

な、なんと、毛沢東の中国が参戦。

再び前線が押し戻される


そしてマッカーサーが中国に原爆を使うと言い始め
トルーマンに解任されて

結局、北朝鮮も米・韓も(選択1)の完全勝利はできずに
(選択2)「妥協」である「休戦」(1953年)で今日に至る。

ソ連の参戦の恐れや核戦争の恐れまで出てくる始末
これ以上(1)を追求するのは危険すぎる、、、
死者数が、、
南北・軍人市民あわせて300万とも
中国60万?90万?
アメリカ3万7千
これ以上の犠牲は、、、

結局(2)に落ち着いた朝鮮戦争

バイデンの「米軍派遣せず」発言(2021.12.8)に
プーチンが「よし!」
と呟いたかどうかは知らないが 2022年2月24日
ロシア軍がロシア、ベラルーシ、クリミアからウクライナへ侵攻。
ウクライナの都市や軍事施設へのミサイル攻撃も始まった。

首都キーウにもロシア軍が迫り緊迫。
キーウ危うし、陥落か、、
と思われたが
ウクライナ側はよく持ちこたえた。
ゼレンスキーは住民に火炎瓶を用意せよと呼びかけ、
銃も持たせた。

ゼレンスキー自らの動画をSNSに投稿し、国民を鼓舞。
状況は厳しいが我々は首都にとどまり独立を守ると語りかけた。

ゼレンスキーにはアメリカ政府から首都脱出を助ける
という申し出があったが、ゼレンスキーは
こう言って断ったという。

「私に今必要なのは乗り物ではない。砲弾だ」

ロシア軍、首都キーウ市内を爆撃 ウクライナ大統領「国を守る」と強調
2022年2月26日 BBC https://www.bbc.com/japanese/60534667


4月にロシア軍はキーウ周辺から撤退し、
東部と南部に部隊を集中させた。
5月に入るとロシア軍は
一時制圧していたかに見えたウクライナ第二の都市
ハルキウからもロシア領へ追い返された。


ゼレンスキー・ウクライナは今後
(1)を目指すのか(2)か
相反する兆候も今見られ始めている

『目標をずらし始めたウクライナ〜東部全土にクリミア奪還』
https://noraneko-kambei.blog.ss-blog.jp/2022-05-18

続きはまた次回

最後までお読みくださりありがとうございました m(_ _)m


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