「ぶらさがり会見を2回したので首相は説明責任を果たした」(森山裕・自民国対委員長)
「説明責任」の誤解
accountability を「説明責任」なんて訳すから
説明すりゃそれで終わり
なんてことを言う輩が出てくるわけだ。
というか、大多数の人は、そういうものだと思っている。
あ、安倍総理、もう説明すまされましたよね、
責任を果たされました、なのに、
何を野党はいつまでもぐだぐだ言ってんだ、
と。
だったらresponsibility は「反応責任」と訳さねばならない。
何か反応すればそれで終わりだ。それで「責任を果たした」ことになる。
accountabilityを四文字も使って語源透明性があるような「説明責任」としたところに 問題がある。
世の中、説明すればそれで終わりという感覚でとらえる馬鹿ばっかりになってしまう。
アカウンタビリティとはそんなものではない。
かねてより新訳を提案したいと思っていた:
今こそ「説明責任」の訳はやめて、訳し直すべき。
だからおそらく明治時代に先達(西周か誰か)が
responsibilityを「責任」と2文字で新語を作った(?)ように、
accountabilityは「公責」とか「公任」とか、なんらかの新語を作るべきだ。
そして「説明」はその「公責」を果たす1歩にすぎないという語感で
人々が捉えられるようにしないといけないのだ。
accountabilityというのは重い処罰をも含意する重い言葉だ。
「説明責任」という訳語によってそれが余りにも軽いものになってしまっている。
あんなふざけたぶらさがり「会見」で安倍がaccountabilityを果たしたというのなら、
日本はもはや法治国家ではない。
バナナ共和国だ。
私は、(ほかにもいい訳し方があるかもしれないが)、「公責」といった訳語が望ましいと思う。
「公責が問われる」、「公責に答える」、「公責を果たす」。
説明なんてその第一歩にすぎない。
次に、その説明が妥当かどうかが問われる。
以上、森山さん、こんなもんで幕引き、とても無理がある旨、申し上げた。
国会で安倍に説明させるのには「無理がある」と森山
安倍は呼ばれれば国会で説明する
とは言ったが、こうなると知っての上、
国会に呼ばれることはないと知っての上での発言だったのだ。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
よく言うよ 「無理」
ぶらさがりを2回やっているから説明を果たしたなどとふざけた言い分も通ってしまう
国会は自民公明で抑えており
野党は数に対抗はできない
自民は根拠や理由なんかなくたって押し切るのだ
モリカケ問題もこうしてこれまで乗り切った
森山はすっとぼけた顔をしながら
とにかく追及の矛先がデタラメやり放題の安倍に向かうのを阻止する
防波堤のような役目
自分らの主張に論拠がなくても証拠がなくてもお構いなし。
議論を拒み、追及をはぐらかし、
とにかく断定し、強弁し、問答無用で主張を押し通す。
こういう政治は専制政治の一歩手前のとこまで来たが
自民党議員を選挙で減らさない限り終わらない
しかしもう時間は残されていない
国民よ目覚めよ
手遅れにならないうちに!
憲法を改正され「緊急事態条項」が盛り込まれれば
いよいよアベラの本格的な独裁となるのだ
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