ロシア/ウクライナと『最後の授業』

普仏戦争(1870-71)に勝つと
プロイセンはフランスから
領土を奪った
アルザス・ロレーヌである
(ドイツ語でエルザス・ロートリンゲン)

前回の
「嘘が最も多いのは選挙の前と戦争の最中である」(ビスマルク)
https://noraneko-kambei.blog.ss-blog.jp/2022-05-11
の続き

領土編入に伴い
学校でもフランス語に代わって
ドイツ語となる

普仏戦争直後のアルザスが舞台の
『最後の授業』
はフランス人作家アルフォンス・ドーデの短編で
日本ではかつて教科書にも取り上げられて
親しまれてきた

Derniere-Classe-1915.jpg
http://www.savigny-avenir.fr/2019/08/19/comment-aborder-la-specialite-histoire-geographie-geopolitique-et-sciences-politiques-les-nouveaux-programmes-2019-des-classes-terminales-des-lycees/

フランツ少年はこの日学校を遅刻し
先生に怒られるのが怖くて
恐る恐る教室に入るが
いつもと様子が違う

先生は怒らなかったし
よく見ると先生は晴れ着というか
特別な日にしかしないような身なりをしている
教室の後ろには大人たちも詰めかけていた

いつになく丁寧に教える先生は
こんなふうに言った

「私の授業は今日が最後です。
ベルリンから通達が来て
アルザスとロレーヌの学校では
ドイツ語しか教えてはならぬ
ということになったのです」

こうも言った

「フランス語は世界で最も美しい言葉です。
最も明晰な言語です。
フランス語を決して捨ててはなりません。
一つの国が奴隷となっても
国民がその言葉を守るなら
牢獄の鍵を持っているようなものです」

教会の鐘が鳴り
授業を終えるときがきた
プロイセン軍のラッパも響く

先生は「皆さん、私は、、私は、、」
こう言いかけて万感胸に迫り
先を続けることができない

生徒たちに背中を向けると
黒板に大きくこう書いた

VIVE LA FRNCE !
(ヴィーヴ・ラ・フランス!)
「フランス万歳!」

そして力なく頭を壁に持たせかけると
言葉を発することなく
生徒たちには仕草で
こう伝えるのがやっとだった

「これまでです
帰ってよろしい」


(なぜか英語の映画で申し訳ないが、、)

日本の学校でこの話を教えたのは
国の?民族の?言葉の大切さ
国や民族の誇り?
愛国心?
そんなことを教えようとしてのことか

ドイツに負けたフランスの
感動物語

言葉を奪う非道
と言えば日本も
朝鮮、台湾といった植民地で
日本語を押しつけた

そのことはあまり今
学校では教えないくせに


人気ブログランキング 応援クリックを是非とも!

にほんブログ村  人気投票、上下ふたつともどうかよろしく!
m(_ _)m

ところがである

『最後の授業』を日本の学校で教えたのは
日本人の勘違いであった

それに気づいてか
もう教科書には載っていないようだ

日本人またまた
ウクライナのウクライナ語/ロシア語
ドネツィク・ルハンシク/ドネツク・ルガンスクでも
勘違い?!

そうでなければいいが

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

勘違いとはこういうことだアルザス人もアルザス語も
ゲルマン系なのである
元にもどっただけ、、
逆にそれまで(普仏戦争まで)
フランス語を押し付けられていたのだヨーロッパがプロテスタントとカトリック
二つの陣営に分かれて戦った
「30年戦争」(1618-48)
といってもカトリック国のフランスが
プロテスタント陣営についたが、、
主戦場となったドイツは荒廃し
人口の30%を失ったとも
なにしろスウェーデンの王様なんかも
兵を率いてやって来て大暴れ
まだ国の「主権」なんて考え方が
あまりない時代
傭兵が横行ーーというか
それが当たり前の時代だったアルザスもその30年戦争までは
神聖ローマ帝国(ドイツなど様々な国の集まり)の一部
だったものが、戦争を終結させた条約ーー
ヴェストファーレン条約(1648)で
フランスに編入されフランス化が進んでいた
それが普仏戦争(1870-71)で再び
元々の「ドイツ」に戻った
ということだったのであるじゃあ「フランス万歳!」じゃなくて
「ドイツ万歳!」かというとそうでもなく
むしろ「アルザス万歳!」なのであるフランス?
ドイツ?
いえいえ、これがほんとの
どっちもどっち
それを知らんと日本の教科書
フランス万歳!の片棒を担いでいたのだよフランスはというと
普仏戦争でナポレオン3世自ら捕虜となり
大変な屈辱を味わった
ドイツへの敵意はふくらみ後々
第一次世界大戦に至るまで
尾を引いてゆく、、

その第1次世界大戦が終わると
憎っくきドイツに巨額の賠償を課す
ヴェルサイユ条約(1919)
今度はドイツが大変な屈辱を味うはめとなり
アルザス・ロレーヌはふたたび
フランスへ編入される、、

その後ドイツは屈辱を晴らさんとばかりに
ナチスが台頭して第2次大戦
1940年にフランス降伏
ふたたびアルザス・ロレーヌはドイツが併合、、

しかし1945年にドイツは連合軍に降伏
ということで以来ずっとフランス領ではあるが
アルザス語(ドイツ語方言)は
今もしぶとく地域語として生き残っている

とはいえ戦後のアルザス
母語であるゲルマン系のアルザス語は
公的な場から追放され
フランス語が母語という人も増え
アルザス語を子供達に教えるようになったのは
社会党のリオネル・ジョスパンが首相になった
1997年以降という

(私が知るアルザス関係の人では、、
原発に反対する運動で何度か通訳をした
ドイツ人と思っていた物理学者が
アルザス出身の人だった
ほとんどなまりのない英語を話され
奥さんはフランス語
それから死刑反対の運動で何度か通訳をした
シュバイツアーのお孫さん(ピアニストで医師)
スイス生まれで今はアメリカ在住で
講演は英語でされるが
祖父シュバイツアー博士の思い出を語り
アフリカはガボン、ランバレネでの
祖父との子供の頃の会話を再現するくだりでは
フランス語になった
シュバイツアーは「ドイツ人」と思われているが
実はアルザス人なのだ)


人気ブログランキング お手数ですがどうかクリックを!

にほんブログ村  どうかこれもクリック!
ありがとうございます! m(_ _)m

普仏戦争のときのフランスを舞台とする
有名な小説の一つがギ・ド・モーパッサンの
『脂肪の塊』


なぜかソ連の映画、、

ジョン・フォード監督の『駅馬車』も
モーパッサンの小説が原型という


人気ブログランキング クリックを!

にほんブログ村  クリック!

とにかく遠い国の言語の問題は
アイデンティティーや権利
政治や歴史的な背景もからみ複雑だ

『目論見が外れたプーチン~終わりの始まりと地獄絵(3)』
https://noraneko-kambei.blog.ss-blog.jp/2022-04-03

ウクライナでは
ロシア系のロシア話者もいれば
ウクライナ人でも以前の政策の名残で
ロシア語話者がけっこういたり
同じ家庭内で違っていたり、、

ウクライナ東部の親ロシア派、親ウクライナ派
の対立にしても
SNS上ではあれこれ
極端な言説が飛び交っている

この地域で親ロシア派がウクライナ人によって
抑圧を受けたり殺害されたりということも
2014年のいわゆるマイダン革命以降あったようだが
その数を甚だしく多く言う人もいれば
それはロシア擁護のプロパガンダとして
一切受け付けなかったり
お互いを陰謀論者呼ばわり

(今はロシア人が酷いことをしているが
これまではウクライナ人がロシア系に酷いことしていた
いやそれ以前は親ロシア派の政府が
いやソ連時代は、、いや訂正ロシア時代は、、
いやもっと遡れば、、)

しかしメディアもSNSも今は
親ウクライナ、反ロシア一色

そして不思議な空気が支配している
ウクライナに都合の悪いことは
触れてはいけないタブーのような感じだ
異論を封じ込めようというのか
言論浄化か

それはどこか従軍慰安婦の問題に似ている
吉田清治が捏造をしたことをとらまえて
すべてがうそーー
慰安婦は一切なかった
と言い張る人たちがいるように
(もはや「従軍」の文字も教科書から消えている)
ウクライナ東部ドンバス地方ーー
ドネツィク・ルハーンシク/ドネツク・ルガンスクで
とてつもない大虐殺が起きたなどと書く人がいるからといって
あるいはそれとは逆のとてもあり得ないようなこと
虐殺はうそで「死体」は生きた人間による偽装、などなどの主張
あるいはとてもあり得ないような陰謀論を展開する人がいるからといって
人権侵害や殺戮が一切なかったことにされそうなのだ
あるいは2014年のマイダン革命ーー
親露派政権の追放に
アメリカの関与がなかったかのようなことに
いつしかなっている
あるいはNATOの拡大で
ロシアを追い詰めるようなこともなかったと

ビスマルクのように
何も信じない、公式に打ち消されるまでは、、
というのも極端な言い方だが
あまり早とちりしないことも
「最後の授業」を教科書に載せた日本人には
必要ではないだろうか
それとも
これもビスマルクの格言だが
人が歴史から学ぶのは
人は歴史から学ばない
ということにやっぱりなってしまうのだろうか

欧米のウクライナへの軍事支援が続く
ロシア軍の苦戦が伝えられ
クレムリンに内部崩壊の兆し
プーチンは癌にかかっている
などなどと伝えられているが
あまり前のめりにならないことだ

最近の歴史を振り返っても
アメリカが国連安保理の承認もないまま
「有志連合」を組んで2003年3月に
国際法違反の開戦に踏み切ったイラク戦争
5月にはインド洋の米艦上で
「主要な戦闘は終了した」とほぼ
勝利宣言みたいなことをしたブッシュ大統領
(戦闘機パイロットに扮する大仰な演出)
だったが
開戦の事由ーーあるはずだったイラクの
大量破壊兵器もテロ組織とのつながりも
見つからないままその後イラク国内は
宗派対立の内乱状態となり
最終的にオバマが米軍の撤収完了と戦争終結を宣言したのは
2011年12月のことだった
その間、何十万人という人が死んだ

ウクライナに関して伝えられる諸々のことも
ゼレンスキーの言う「勝利」も
実際に起きたことが確認されるまで
信じるのは保留しておく


人気ブログランキング クリックを!

にほんブログ村  クリック!

ウクライナの言語に関しては
ヒューマン・ライツ・ウオッチの
欧州・中央アジア担当者が
問題を指摘している

New Language Requirement Raises Concerns in Ukraine
The Law Needs Safeguards to Protect Minorities’ Language Rights
https://www.hrw.org/news/2022/01/19/new-language-requirement-raises-concerns-ukraine

2019年に成立したウクライナの国語法が
少数派の言語を十分保護していないという
具体的にはロシア語、ロシア語話者への差別だ

今年1月に施行された第25条によると
印刷媒体は
ウクライナ語を使用しなくてはならないーー
他の言語で出版・発行するに当たっては
ウクライナ語版も伴わなければならず
内容的にも分量的にも印刷方法においても
同等のものをウクライナ語で
併記しなくてはならないのだ

この「国語法」は元々ポロシェンコ政権末期の
2019年に成立したもので
狙いはウクライナ語の再興と
国のアイデンティティ強化

世論調査によると支持60%という

25条は少数派の言語、英語その他のEU公用語には
ウクライナ語併記義務を免除しているが、ただし
ロシア語には免除が適用されない
(ベラルーシ語とイーディッシュ語も)

これはウクライナがEU加盟を目指しているためであり
長らくロシア語を優遇しウクライナを抑圧してきたから
とウクライナ政府

しかし欧州評議会の諮問機関「ヴェネツィア委員会」
(「法を通じての欧州民主主義委員会」)は
25条などこの法律はウクライナ語の促進と少数言語の保護の
「公平なバランスが取れていない」としている
「歴史的にウクライナ語が抑圧されてきたからといって」
「ロシア語とロシア語話者に、他の言語には認めている保護を認めない
というのは不当である」というのだ

このヴェネツィア委員会
設立がイタリアのヴェネツィアだったので
この名だが現在の所在地がまさに
「アルザス」のストラスブールーー
欧州議会、欧州人権裁判所もそうである

その一方で西側のウクライナへの武器援助が続く

ウクライナのゼレンスキー大統領は
「話し合える段階は過ぎた」
とまで言い始めた
「勝てる」と自信を深めているのか

フランスのマクロンが
プーチンとの対話を模索しているのは「無駄」
とゼレンスキー:

「ロシアに逃げ道を与えてはならないのに、
無駄な努力をしている」

「ロシアとウクライナの仲介で
結果を出したかったのだろうが
何の成果も得られなかった」

マクロンは、交渉を通じて停戦する必要があるが、
ロシアとウクライナのどちらかが
「屈辱」を受ける形であってはならない
と述べている

いかにもフランスの大統領
ドイツとの間で繰り返した
「屈辱」と殺し合いの歴史から
教訓を学んでいる人の言葉か

しかしゼレンスキー:

「われわれは何年もそれ(プーチン氏との対話)を模索してきた。
そしてきょう、その道筋の上にはしかばねが、
わが国民のしかばねが散乱している」

「話し合える段階は過ぎ去った」

あとは殺し合うだけというのだろうか


人気ブログランキング お手数ですがどうかクリックを!

にほんブログ村  人気投票、どうかこれもクリックして下さい!
ありがとうございます! m(_ _)m
旧ブログの関連記事はこちらのタブで:

https://noraneko-kambei.blog.ss-blog.jp/2022-05-15

タイトルとURLをコピーしました