風薫る五月はひとり九州を彷徨わんとて湾に降り立つ

雲低く垂れ込め海はきらきらと光と影といずれ追う身か

長崎・大村湾

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大村空港から長崎駅行きのリムジンバスは浦上天主堂に近い浜口町で下車。
去年の夏以来の宿題がある。
『「幻の原爆遺構」長崎浦上天主堂』

かつては長崎にも、被爆して廃墟と化した建物の姿はあった。浦上天主堂。
しかし、長崎は、原爆遺構として残すのではなく、再建という道を選んだ。
再建には反対論もあったが。
遺構の一部は爆心地公園に移築されて今も見ることができる。


浦上天主堂の「被爆マリア」

 浦上天主堂

この石碑には明治になって捉えられた浦上信徒3,400人余りの内訳が名古屋以西21藩の流配先とともに記されている。キリスト教の禁が正式に解かれるのは明治6年。

以前、島根県の津和野を旅した時、浦上のキリシタンにちなむ場所にたまたま出会った。津和野には、拷問で棄教を迫られる彼らに、聖母マリアが姿を表したという奇跡の話が伝わっていた。

キリシタンの拷問に使われた石


浦上天主堂をあとにチンチン電車で出島に向かった。


上はお土産屋の版画。下は波止場の銘板を撮影。

親戚の先祖はこの出島から密出国してオランダに渡り医学を修めて帰国、
しばらく出島に身を潜めた後入国。代々細川藩の藩医をしていた。

私もしばし出島に身を潜めて昼食

「長崎サラダ」。サラダとは言え、麺が入っており、
海鮮冷やし長崎うどん?
美味であった。

武士道といふは死ぬこととみつけたりといふ坂みつけたり。
長崎の「喧嘩坂」。武士の仇討ちで知られる。
雪の積もったこの坂ですべって転んで跳ねた泥、
別の武士に掛かりたるがそのきっかけという。

坂を下りた先の「鉄橋」でシャッターを切ろうとして思いとどまる。
あとで知ったがそこは討ち入りした一人が切腹した場所という。

あてどなく長崎さるき友と会いたどりつくのは思案橋かな
長崎やここが思案の化合物毒と知りつつハシゴ幾軒

「さるく」というのは九州弁で。「さまよい歩く」、「ほっつき歩く」。
熊本でも言うが、長崎でも言うようだ。結局のところ同じ「肥」の国。

今回は悪友たちに会ったのが運の尽き。焼酎を飲みすぎた。
気がついたら翌朝の9時半。二日目はすっかり出遅れてしまった。
酒豪たちと下手に付き合うと体を壊すし予定も狂う。

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