熊本市明治の揺れの再来も??いまだ終わらず熊本地震

↑写真は7月28日のマグニチュード7.1直前の雲。

↓こちらは8月6日の余震(M4.5)直前の夕焼け。

今回の熊本地震は震度5弱以上(8月1日以降は震度4以上)の大きいところで:

7月28日 16:27 震度7  M7.1 震源:熊本地方
     16:29 震度5弱 M4.5 震源:熊本地方
     17:08 震度5弱 M6.1 震源:天草・芦北地方
     19:03 震度5弱 M4.2 震源:熊本地方
7月29日 22:19 震度5弱 M5.8 震源:天草・芦北地方 
8月1日 21:47 震度5弱 M4.7 震源:熊本地方
8月2日 01:07  震度4 M4.5 震源:天草・芦北地方
8月4日 05:32  震度4 M4.1 震源:熊本地方
8月6日 07:59  震度4 M5.1 震源:天草・芦北地方
    19:49  震度4 M4.5 震源:熊本地方
8月9日 08:02  震度4 M4.2 震源:天草・芦北地方

28日のM7.1で揺れた日奈久断層帯の真ん中の区間より北の
むしろ布田川断層帯のほうに揺れが移ってきているようにも思えてきた。

当初の専門家らの話だと今回は日奈久断層帯の前回の割れ残りのある真ん中の区間が揺れた、
今後はさらに南の八代海区間にかけての揺れに注意されたい
という話だったと思っていたのだが、思いの外、北側が揺れている。

私は熊本市西区の丘陵地帯に住んでいるが、上に掲げた6日夕方の揺れ(M4,5)など、
真下から突然ドン!突き上げるような強い衝撃だった。

そこで思い出したのが明治時代の熊本地震(明治22年熊本地震)である。
別名「金峰山地震」。お城の石垣なども壊れた。
この時は、金峰山が噴火すると言う噂が広まって熊本の住民はパニックになり、
大八車に家財道具など乗せて逃げ惑い、大変な騒ぎになったという。

この1889年(大日本帝国憲法発布の年)に熊本市を襲った地震のことを思い出して、
こりゃ、これから熊本市もけっこう危ないな、と思った次第。

調べると、なんとなんと、同じ日付ではないか。7月28日。

137年前と同じ日、同じ猛暑の中で起きた熊本地震…
繰り返す災害を克服してきた先人の教訓と英知 2026/08/03 読売新聞 https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20260731-GYT8I00048/

この時動いたのは布田川断層帯の真ん中の区間。
あるいはそれとは別の立田山断層が動いたという説もあるらしい。

熊本市西区の真下やその周辺(要するに「熊本地方」)には
まだ完全に解明されていないものも含め、多くの活断層の枝分かれ(派生断層)が
ひしめいているのだとか。
いやはや、わしも因果な場所に住んだものよのう。

ヤフー「災害カレンダー」の記述に従えば明治熊本地震の大きな余震は8月3日か。

上の読売の記事によると、むしろを敷いたり、家の中の畳を持ち出して家の外で寝泊まりしていた。今の車中泊だ。そしてようやく家に戻り始めた8月3日に再び強い揺れ。
この3日未明の揺れを「激震」と呼んでいることから、
最初の地震よりむしろ大きいと感じられる揺れだったのかもしれないとのこと。

ウィキペディアが引用する五野保萬(ごのやすま)と言う人の日記によれば
「実に稀なる大地震にて恐怖甚だし」「8月7日、今日も震動一度をなす」とあり、
余震は7日

きょうは9日だが、まだまだ油断はできまい。
気象庁も依然警戒を呼びかけている。

災害カレンダー 7月28日 明治熊本地震 https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/234/
1889年(明治22年)の地震はマグニチュード6.3、死者20人、建物の全壊239棟。

ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/熊本地震_(1889年)

気象庁地震火山部 「令和8年熊本地震」について(第7報)(令和8年8月4日)より:

【地震活動の今後の見通し】
・今後1週間程度、最大震度5強程度以上の地震に注意
・なお、最大震度6弱程度以上の地震についても、平常時と比べると依然として発生しやすい状況
・地震活動域は広範囲であり、地震の規模や震源との位 置関係によってはM7.1の地震による揺れよりも強く揺 れる可能性
・海底で規模の大きな地震が発生した場合、津波に注意

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曽倉 哲:「因果な場所」って分かり始めたね?

のら猫:おお、これは哲っちゃん、久しぶり。どうね、そっちは?
家は崩れとらんね?

哲:ま、なんとか無事です。熊本はやっぱり因果な場所ですよ。
なにせ日本で記録した震度7が8回で、うち3回までも熊本ですから。

熊本地震、本震も震度7 同地点で2回観測は史上初
2016年4月20日 日経新聞
震度7の揺れ、阪神大震災以来8回観測 うち3回は熊本県内
2026年7月28日 日経新聞

のら猫:うちは西区の丘の上だから比較的安全かと思ったが、
今回、明治熊本地震(金峰山地震)のことを調べて、そうでもないと思ったよ。
そもそも、ここは金峰山というカルデラ火山の山系の一部。いろんな断層が隠れていそうで。
でも、あなたの住んでる健軍(けんぐん)あたりは、布田川断層帯に近いし、
揺れは激しいんでしょ?

哲:結構揺れました。壁に飾ってある絵とか落ちました。
因果な所と言えば、この辺も因果な所です。

のら猫:健軍といいうと健軍神社(けんぐんじんじゃ)があって、
これは元々「健宮」(たけみや)と言っていたというから、
阿蘇神社に祀られている健磐龍命(たけいわたつのみこと)を連想するんだけど。
(ここにも書いた『阿蘇目指し朝もはよから観覧席あそぼあそぼとアソボーイ』)
やっぱり地震とか火山と関係しているんだよね、健軍神社も。

哲:同じ阿蘇氏が建てた神社だから、同じ系列ではありますよ。

のら猫:やっぱり。健軍あたりも揺れるだろうね。そういう場所に建てるんだよ。
10年前はどうだった?

哲:その時はまだ私は熊本にいませんでしたから直接は知りませんが、
結構被害が出たと言う話です。
でも、健軍というのは「たけき軍」ということ、強い軍隊です。

のら猫:なるほどね。「軍都熊本」というけど、古い歴史だね。
明治になって熊本に鎮台が置かれ、その後、それが第六師団となり、
戦後は自衛隊の健軍駐屯地となり、、だから、軍隊を建設する、で、建軍
と誤解してる人もいるようだけど。。

哲:でも健軍(たけみや)を健軍(けんぐん)と読むのが定着したのは
昭和になってかららしいです。
健軍には軍の飛行場ができたり、三菱重工の飛行機工場ができたり、
音読みにしていかにも軍国的な名前、軍国的な響きですよ。

のら猫:今じゃ国産ミサイルを配備(日本初)してるんだからね。

哲:でも、健軍は昔から日本の軍事の最先端だったとも言えます。
健軍神社は健緒組命(たけおくみのみこと)を祀っているんですが、
これは大和朝廷に従わない九州人を征伐した神様です。
そして南のほうにいる熊襲とか隼人とか反抗的な勢力を抑えるのが役目です。
その健緒組命の軍隊ということで健軍なんです。健軍神社ができたのは558年。

のら猫:大和朝廷にたてついた磐井の乱が527年だから
(こぶな527釣りし磐井の乱)、大和朝廷がその乱を鎮めて九州北部を平定し、
中部の熊本を抑えて、南の熊襲や隼人に睨みを効かせた、というのが
558年にできた健軍神社ということだね(ここは558どこ?健軍神社)。

哲:磐井が通じていた新羅あたりにも睨みを効かせていたのかも。

のら猫:熊本鎮台は薩摩不平士族に睨みをきかせていたか。
清やロシアに対する防衛拠点というつもりでもあっただろうね。
今の自衛隊の建軍駐屯地は中国に対してだね。
西部方面総監部が九州と沖縄の防衛を統括している。
誰かさんの言う台湾有事は熊本有事なんだよ。

哲:古代の大和王権も明治政府も今の防衛省も、西日本の防衛拠点は熊本と。

のら猫:しかし、そこが火山や断層帯の複雑に絡む地であり、
幾度も大きな地震に襲われるというのも因縁めいているね。
宿命と言おうか。

哲:古代においては防災の要でもあった。
火山や地震の神様の怒りを鎮めるというのは、重要な防災の政(まつりごと)だったのです。

のら猫:鎮台という名称も昔かあらあるのだろうか?
鎮西とか鎮西府(太宰府)とか鎮西探題というのはすべて
九州を鎮める、抑えるということ。
磐井の乱以来?九州は中央が押さえ込む土地だったようだ。

哲:磐井の乱から明治の西南戦争に至るまで、「九州で中央に反抗する巨大なエネルギーが生まれ、それを中央政権が強大な軍事拠点を置いて力で押さえ込む」という構図。

のら猫:ときに、健軍のお宅は大丈夫?うちは木造の古い家だから、結構やばいんだ。
これまでは持ち堪えていても、余震の激しいのが続いているうち、壊れたりしないか、心配。
そういうのが、明治の時も、10年前も、パターンのようだから。

哲:うちも古いから、このところ毎日、2階で寝ています。
家具など何もない部屋で。枕元に懐中電灯とリュックと靴とリコーダーのソプラニーノ、揃えて。

のら猫:なるほど。家が壊れて閉じ込められたら、ソプラニーノをピーッと吹いて、助けを呼ぶ。。
うちは、本棚が倒れた。その部屋で寝ていたから、地震が夜に来ていたら、下敷きだったね。
ここに写真を載せたけど:どの揺れが地震の神の本心か未だ終わらず熊本地震

哲:木造の家が持つかどうかは、建物の築年数(耐震基準)と
これまでの地震によるダメージの蓄積がどれほどかにかかっています。 
2000年(平成12年)以降に建てられたものなら、新しい耐震基準の家ということで、
それまでより厳しい基準で建てられていますから、震度6強~7の揺れでも
一気に倒壊する確率は低いです。命を守るだけの空間は維持できる可能性が高いです。
これが1981年~2000年以前の家だと、その後、耐震補強をしていなければ、
柱や梁の接合部が外れて傾くリスクがあるそうです。
1981年(昭和56年)以前旧耐震基準の家だと、気をつけたほうがいいですね。
2016年の熊本地震の時も、この基準の木造住宅の多くが、1回目の揺れ、あるいは
2回目の揺れで倒壊したそうです。 

のら猫:うちは1986年だったかな。10年前の熊本地震でも倒れなかった木造住宅。
お隣は2軒が大破。。
今回もモルタル部分の前回のヒビを修復した所が多少剥がれたり、
内壁のごく一部、それも前回のヒビを修復した部分が数箇所剥がれたくらいです。
家中の壁のカケラを全部集めても両手のひらに乗るくらいの量。

哲:うちも似たようなもの。木造住宅が倒壊するのって、
瓦根や2階の重みで1階が潰れるケースがほとんどで、
2階に寝るようにするだけで生存率は急上昇するらしいです。 
お宅は1986年築なら、1981年6月以降の新耐震基準で建てられていそうですね。
2016年の熊本地震でも、旧耐震の建物に比べて新耐震基準(1981~2000年築)の建物は
倒壊率が大幅に低かったらしい。

のら猫:10年前に倒れなかったのは、そういうことか。

哲: ただ接合部の基準がまだ緩かったようです。1886年なら。
2000年の法改正以降の家に比べると、柱と梁を固定する金物の基準がまだ緩かった時代ですよ。
接合部に少し緩みやきしみが生じている可能性もありますね。

のら猫:そうですか。用心しよう。
余震の回数もかなり減ってきたけど、油断しないようにしないと。
明治熊本地震は7月28日におきて8月3日に大きな余震が来たというから、
先日の気温40度の予報が出ていた日に今回、大きな余震(あるいは本震!)が来たらどうしよう、
被災するんじゃないだろうかと、気が気じゃなかったけど。

哲:そうですね。まだまだ、何が起きるか分からない。
お互い気を緩めず、用心していきましょう。

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