遠隔地さほど行かねど円覚寺いざかまくらときたかまくらよ
国宝
円覚寺訪問の沿革。
大学受験が終わり真っ先にここを訪れてからだから48年ぶり。
いやはや。なんとも虚しい年月を重ねてきたことか。
円覚寺は鎌倉幕府の八代執権・北条時宗が蒙古来襲(文永の役1274、弘安の役1281)を経て
「怨親平等」すなわち敵味方なく死者を弔って極楽往生させようという考えから創った禅宗の寺。
喧騒を逃れて来れば喧しき乙女の群れに出会いぬるかな
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建長寺、明月院
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これも国宝
建長寺は北条時宗の父・時頼が建長年間に建てた禅寺。
仏殿は芝の増上寺にあった崇源院の霊屋を移築したもの。
崇源院は徳川幕府第二代将軍秀忠の妻、お江(おごう)。
鎌倉時代にさかのぼるつもりが結局このところの徳川つながりに舞い戻ったではないか。
水戸に行ってからのこの流れ。
NHKの大河ドラマの再放まで『葵徳川三代』になったのには驚いた。
しかし大河ドラマはこうでなくてはいかん。『いだてん』はもう見ない。
お江(おごう)は浅井長政(=織田信長に滅ぼされた)の三女。
母が信長の妹お市だからお江は信長の姪だ。
そのお江の一番上の姉が茶々、すなわち秀吉の側室・淀の方で、
その淀殿の息子が秀頼で、
大坂夏の陣で母子ともに自害。家康に滅ぼされている。
徳川家康は、織田信長の姪の一人(豊臣秀吉の妻)は死なせ、
もう一人の姪は息子・秀忠の嫁にしたということだ。
そして秀忠とお江の子が三代将軍家光。
鐘楼にて候
夏目漱石は明治28年(1895年)ここで一句ひねった。
「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」
なんだ正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」のパロディじゃんか!
いや、その逆だった。
模倣は最大の賛辞。
友情の証だった。

底で一句
嘘つけば国滅ぶなり安倍晋三
少しだけつつじが咲いて建長寺ボタンが残りアジサイはまだ
「紫陽花(あじさい)寺」のあだ名で知られる明月院。
北条時頼が建てたのを時折思い出したか時宗も胸ときめかせ再興するも廃れて明月院だけが残った。
春に咲く明月院の花々はバイモレンギョウボケモモサツキ
夏に咲く明月院の花々はフヨウアジサイネムハナショウブ
秋に咲く明月院の花々はハギヒガンバナモミジサザンカ
冬に咲く明月院の花々はロウバイスイセンウメカンツバキ
鎌倉はこれからも彷徨ってみたい。
投稿がこのところとどこおっている「新語百番勝負」だが
ここいらで「鎌倉百寺巡礼」のシリーズでも始めるか。
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