正月早々、故郷の熊本でまた強い地震が起きた。
400年前の中央構造線沿いの地震連鎖では「熊本地震」が2度起きている。
私は今回も「第2熊本地震」があるのではと警戒してきた。
3日の地震はM5だから、まだそれではなさそう。
しかし、3年前の地震のときも最初の揺れのあとに本震がきた。
油断はできない。
それにしても因果な地震である。
玄海、伊方、川内と3つの原発の真ん中に位置している。
しかも私や父母や先祖らの故郷のど真ん中だ*。
日本が歴史的な大地震の連鎖の真っ只中にある今
国は五輪だの万博だのに金をかけたり
原発の再稼動だの「軍拡」だの
米製兵器の爆買いなどやってる場合ではない。
ここは脱原発と専守防災を訴えたい。
863年 越中・越後地震
864-866 富士山・貞観の大噴火
868年 播磨地震
869年 貞観地震 M8.3 陸奥沖海溝地震 ←東日本大震災 2011
869年 肥後(熊本)地震 ←熊本地震 M.7.3 震度7 2016.4
880年 出雲地震(M7.0以上とされる)←倉吉 M.6.6 2016.10 ←今ここ↑
887年 仁和地震 M8-8.5 南海トラフ! ←(((伊予伊予か)))
1605 慶長大地震
1611年 三陸沖地震←東日本大震災((((慶長に値))))
1617年 八代(熊本)大地震(八代城崩壊)←いまここ
1625年
1月 広島で地震
4月 愛媛で地震←((((危な伊予))))
7月 熊本で大地震(再び熊本!すわ(((川内!)))
11月 四国中国大地震( !! )←((((危な伊予))))
この年表を見ているとどうしてもまた熊本で地震が起きる、
南海トラフは遅くとも大阪万博の2025年までに来そう、
と思えてしかたない。
*荒尾、玉名、山鹿、玉東、震度4とテレビが言うので驚いた。
荒尾は父の故郷、母は山鹿。
玉名は見合いの場所。玉東は最初の住まい。
当時は確か山北村と言った。
正月に衝撃の記事
「敵は官邸にあり」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
敵は官邸にあり
正月の衝撃の記事、東京新聞、
自分らの津波地震予測が内閣府からの圧力でねじまげられ、
防災に生かされなかったという地震学者の怒りの告発。
「予測がまっとうに世に届いていたら、あの地震での犠牲者は大幅に減り、
東京電力福島第一原発事故は防げただろう、と島崎は考える。
「まっとうに世に届くのを妨げたものが、島崎の言う「敵」だ。
「敵はあまねくいる」」
「…当時は、三陸沖〜房総沖の日本海溝で起きる地震について検討」
「この地域で海溝型地震が起きれば、日本海溝の周辺では
とてつもない津波地震が発生する。発生確率は30年間で20%」
「いつもならすぐに発表される。しかし、なぜか下旬を迎えても伏せられたままだった」
「そのころ「内閣府が変なメールをよこして圧力をかけてきた」」
メールには:「上の方と相談したところ非常い問題が大きく」
「今回の発表は見送る」ように「強く申し入れる」
「報告書は、内閣府案に沿った表紙がついたまま7月末に世に出た。
報告書が社会にインパクトを与えることはなかった。
その後、島崎らの予測をねじまげる動き。防災対策の範囲から福島県沖が外される。
「長い間起きていないからこそ、次に起きるのは南半分だと考えるのが普通であり、科学的だ」。
「僕はずっとだまされ続け、気づけないでいた。僕は原発がどこにあるかさえ知らなかった。
あの震災で亡くなった人には本当に申し訳ないと思っている」
(島崎邦彦・元地震学会会長、東大名誉教授)
渋谷の街が、、
ついきのうおととい、
悔い改めよの声が轟きわたっていた交差点が、、
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