広島には原爆ドームという被爆の遺構があるが、長崎にはそれがない。
広島の「原爆ドーム」(かつての広島県産業奨励館)は、被爆ヒロシマの象徴として内外に知られ、平和を願う気持ちの象徴ともなり、ユネスコの世界遺産にも登録され、多くの観光客を内外から引き寄せている。
かつてはあった長崎の被爆の遺構
しかしかつては長崎にも、被爆して廃墟と化した建物の姿はあった。浦上天主堂だ。長崎のキリシタン迫害の歴史を刻み、東洋随一とも言われたカトリック教会の、原爆投下を受けて無残にも崩おれた姿。天主堂の立つ丘は、爆心地からわずか数百メートルだった。天主堂は被爆して倒壊。そのとき天主堂にいた司祭を始め信徒たち全員が死亡した。
その廃墟は戦後10数年を経て取り払われていた。1959年(昭和34年)その同じ場所に浦上天主堂が再建されたのだった。
http://nagasakipeace.jp/japanese/atomic/record/gallery/1urakami_tenshudo.html
http://nagasakipeace.jp/japanese/map/zone_tenshudo/urakami_tenshudo.html
原爆のほぼ直撃を受けたキリスト教会が無残な廃墟のまま残されていたら、20億人(世界の人口の3割ほど)のキリスト教徒へ訴える力は絶大だっただろう。
なぜ再建したのか
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それまで長崎は、町を上げて廃墟の保存に努めていた。しかし、市長が訪米し、帰国すると突然、再建すると言い出した。市議会が強く反対したが、結局、再建された(1959)。
時期的にちょうど、核兵器への反対運動が内外で盛り上がり始め、アメリカがそれに対抗する上でも 「平和のための原子力」(Atoms for Peace)の政策を打ち出していたころだ。
アメリカはそれによって原子力のイメージを良くして反核運動を抑えるとともに、
原子力の「平和利用」、原子力エネルギーの売り込みに力を入れようというのだ。
日本でもアメリカの肝いりで、「原子力博覧会」が各地で開かれた。「明るい未来のエネルギー」の宣伝工作である。
1953年12月 アイゼンハワー大統領が国連総会の演説で「平和のための原子力」を提唱
1954年 アメリカ、ビキニ環礁で水爆実験。静岡県焼津港のマグロ漁船第五福竜丸が被曝*
1955年 第1回原水爆禁止世界大会
(*実は他に何百隻と被曝していた)
長崎平和祈念像完成
1955-57年 原子力平和利用博覧会(合衆国情報局と読売など日本の新聞社共済、広島を含む全国10都市)
1956年 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)結成
1957年 IAEA(国際原子力機関)発足
これまで私はここまでのことは聞き及んでいた。そしてこう考えていた:
長崎に原爆で無残な姿となった教会が残っていては、アメリカとしてはまずい。
アメリカは浦上天主堂の廃墟の撤去と天主堂再建を企てたのではないか?
市長は訪問先のアメリカで再建を吹き込まれたのではないか?
そう考えるだけの状況証拠は十分すぎるほどそろっている。
幻の原爆ドーム (NHKのドキュメンタリーを見て)
(つづく)
(工事中)
自主再建? 押し付け再建?
田川努市長、山口愛次郎司教
今日もお読みくださりありがとうございました!
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m (_ _) m
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