目の前に大きな企画がふたつ立ち塞がり、その先にもいろいろあり、
あと2ヶ月ちょっと見通しがきかない。
しかし、気がつけば今ふと小休止。映画を見に出かけた。
きょうでも ins Kino gehen とはこれいかに。
『シャンソン・ド・レレファン』
英語帝国主義を憎悪し、日本語の滅亡に抵抗する国粋主義者の私は例によって、
なぜ『象の歌』と訳さないのか!!
と慷概しつつも、題名につられて見に行ったことは否めない。
「エレファント」と付く映画では40年近く前?に見た『エレファント・マン』(象男!)以来だ。
渋谷アップリンクで開演を待つ間、解説を見ると
「ゾウにまつわるあらゆることに異常なまで」に執着するる主人公、とあり、
私の映画だ!
と納得。
ところが、ありゃあ、
始まってすぐプッチーニの有名なアリア。
Mio babbino caro (=Mon cher papa)。
この曲が出てくる30年近く前?に見た映画を思い出した。
というか、思い出したのは、連れて行ったとても美しい女性。
映画のほうは題名すら思い出せないが、イギリスの若い男女が結ばれ
イタリアを旅し、この曲が流れていた。
あのころ私は彼女に夢中だった。
しかし、田舎育ちの私は直球をぐいぐい投げるだけの野暮な男。
その人は、変化球が好きで、隠し球あり、いろいろ
駆け引きを楽しむ、都会的に洗練された人だった。
彼女には深い仲の人がいることを知って私は苦しみ、
自分が壊れていくようで、もう会わないことにしようと切り出してそれまでになったが、
話が変な方向にそれてしまった。。
きょうはこの音楽のせいで、私は昔に引き戻され、PTSDのフラッシュ・バック寸前
だったかもしれない。。脳をスキャンしたら
右脳(感情)は過覚醒、左脳(理性)は極端な機能低下、すんで
のところで立ち上がって
「●●●さーーーん!」
と叫びだしそうに。。
いやいや、そこまでは行かずにすんで。。
しかし、心に奥深くしまい込んでいた記憶が蘇る。
しかしそんなことをあれこれ思いめぐらすにはもってこい(?)の映画だったかもしれない。
『エレファント・ソング』の場面は、ほぼ全編、精神病院なのだ。
1960年代のカナダ。
精神科医と男(著名オペラ歌手の息子)の
直球勝負あり、変化球あり、駆け引きありの、息を飲む心理劇。
しかし主人公がこだわる象の歌はフランス語の数え歌だった。
名詞の trompe (トロンプ=象の鼻)と動詞の trompe (トロンプ=だます)
を掛けた、子供のための数え歌である。
どう展開するか先の読めない、すごい映画だった。よく出来ている。
プッチーニの[トスカ」のアリア「星は光りぬ」の一節
Non ho amato mai tanto la vita…
いや、やめよう。何も知らずに観るのがいちばん。
ただ、精神科医が Dr. Laurence で、ゾウが Anthony。
ぐうぜんとは言え、これにはおどろいた。
『象にささやく男』の著者は
Laurence Anthony
なのだ。
コメント
医者と患者の対話
17日のことですが、映画「エレファント・ソング」を鑑賞しました。
謎の失踪を遂げた同僚を捜そうとする、精神科医のグリーンは同僚の姿を最後に見たという患者マイケルから詳しい話を聞くこと
象に異常な執着を見せる彼と対面し 失踪事件の真相の手掛かりをつかもうとす…