モザンビークが地雷除去完了を宣言 〜重敷設国として世界初
1997年にダイアナ妃がアンゴラを訪れ運動に参加したころには考えられもしなかったこと。
< こんなに早くとは誰も思わなかった 百年かかるという見方もあった > と活動家の述懐。
核兵器の廃絶は
「私の生きている間はたぶんない」(バラク・オバマ)
「いつの世紀にか」(ヒラリー・クリントン)
といった言葉を思い出す。
http://noraneko-kambei.blog.so-net.ne.jp/2015-06-02
100年かかるという声も少なくなかったモザンビークの地雷除去だが、30年たらずで達成。
カギは政府の政治的意志。きちんとした計画。もちろん資金的、技術的支援も欠かせない。
Flash and a bang as Mozambique is declared free of landmines
1960年代モザンビークはポルトガルとの独立戦争と
1975年の独立に続く内戦で大量の地雷を敷設。
(内戦は、かたや共産主義のFRELIMOモザンビーク解放戦線。対するは
反共のRENAMOモザンビーク民族抵抗運動。
前者をソ連が支援、
後者を白人国家ローデシア(現ジンバブエ)、後にアパルトヘイトの南アフリカが支援した。
1980年にローデシアが崩壊、黒人国家ジンバブエが誕生。
1990年代には南アはアパルトヘイト政策を放棄、冷戦終了でソ連の支援もとだえた)
1992年に内戦を終結してからも被害は続いた。
地雷は戦争が終わっても人々を傷つけ続けるやっかいな兵器だ。
1993年以来のモザンビークの地雷除去で中心的な役割を果たした団体が
イギリスやアメリカで寄付を募るヘイロー・トラスト Halo Trust。
2007年には「援助疲れ」もささやかれ、ひょっとすると地雷除去というのは不可能なことなのかも知れないと関係者も思い始めたという。しかし、国から完全に地雷を除去するにはどうしたらいいのかを考えるうち、目標が見えてきた。あとはその具体的な目標に向かって努力を続けるのみ。
1990年代始めは年600人の死傷者。
2013年にはそれが13人までに減ってきている。
ヘイロー・トラストではこれまでの22年間に1,100か所あまりの地雷原で除雷。
17万1000発あまりを除去した。この国の除雷の約8割である。
How Mozambique was cleared of landmines – a visual guide
今回のモザンビークの地雷除去宣言で他の国への期待も高まる。
Yes, we can. 「やればできる!」
他の国への期待(アフリカではアンゴラ、ジンバブエ、ソマリランドなど)。
そして希望をつなげたいのは他の兵器へではないだろうか。
核兵器の廃絶。
1999年の対人地雷禁止条約でノーベル賞を受賞したICBL(NGO連合体「地雷禁止国際キャンペーン」)のジョディ・ウイリアムズも言っている:
「核廃絶など夢物語」。その言葉を信じるな。
地雷のときも同じことを言われた。 NPT再検討会議決裂2
日本が対人地雷の廃棄を始めようというとき、ちょうどウイリアムズ女史も日本に来ていたが、廃棄に軍需産業が関わる、自衛隊がやる、などなどNGO関係者らには懸念もあった。しかし「そんなことはどうでもいい」と一喝し、彼女はこう言った。
「誰がやろうと構わない。一発でもこの地上から地雷が減れば、それでいいのだ」
1999年の対人地雷禁止条約。
爾来、地雷の生産と使用はほぼ止まるところまできた。
犠牲者の数も大巾に減った。
27カ国が地雷の完全除去を宣言。
しかしICBLによると去年2014年も1
年間に60カ国でおよそ4,000人の死傷者が出ている。
英ガーディアン紙:Flash and a bang as Mozambique is declared free of landmines
ヘイロー・トラスト:‘Mine free’ Mozambique in a nutshell
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