安倍昭恵氏と皇后考 住吉大社と神功皇后と三韓征伐

安倍昭恵氏が2015年9月4日(名誉校長就任の前日)に参拝した大阪の神社が祀るのは、朝鮮征伐で知られる神功皇后である。
 
住吉大社は海の神様を祀っているといわれるが、祀られているのは、具体的には、海を渡り朝鮮征伐を行なったあの勇ましい皇后、神功皇后(じんごうこうごう)なのである。
 
日本書紀によれば神功皇后はおなかに宿した子供が生まれて来ぬよう自分の股に石を挟んで半島に渡り(そこは自分の先祖の地でもあるのだが)、新羅を討ち百済と高句麗を従え(三韓征伐)を渡って帰国。そして応神天皇を産みます。それゆえか、九州北部、福岡とか佐賀とかには宇美神社とか宇美八幡宮とか「ウミ」にちなむ地名が山ほどある。(夫の仲哀天皇は九州に来て熊襲を討とうと思ったが、筑紫の香椎宮で急死した。私の先祖は助かった。。)
 
3682.jpg写真は住吉大社ホームページから
 
インターネットで安倍昭恵氏に関する記事や投稿を読むうち『皇后考』(原武史著/岩波新書』が参考になるかもしれないと思った。
 
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きのうの私の投稿
『仮説:夫人付は安倍昭恵親衛隊』は、依然、仮説のままだ。< 谷査恵子氏の父親が住吉大社の宮司 > という点が確認できない。インターネットのあちこちにそのような記述があり、そのうちのどれかをどこかで読んでいたのだが。それは、今にして思えば、きのうも触れたもうひとりの「夫人付」のお父さん、神武磐彦(こうたけいわひこ)氏と混同した情報だったようでもある。
 
住吉大社の宮司・神武磐彦氏は籠池泰典氏(宮司の資格あり)とも深くつながる。森友学園の敷地に瑞穂神社を設立するに当り、籠池氏は相談に乗ってもらっているのだ。
 
瑞穂神社.jpg
 
昭恵夫人はこの神功皇后を祀る住吉大社に9月4日に参拝したあと、翌5日に名誉校長に就任、籠池証言によれば「安倍晋三からです」と言って100万円を籠池氏に手渡した。
 
神功皇后や貞明皇后(昭和天皇の母親)に関しては原武史氏の極めて興味深い講演を聞いたことがある。そのとき記したものを再録しておこう。
 

「古代神功(じんぐう)皇后にちなむ神話・地名・神社は、近畿以西、西日本にきわめて多い。仲哀天皇のお妃、神功皇后。皇后ながら日本書紀で独立した一巻を与えられ、破格の扱い。天皇なみ。そして歴代の天皇のなしえなかった対外戦争、三韓征伐をやってのけた。このとき神功皇后は身ごもっていた。生まれないよう石を挟んで新羅・百済・高句麗の朝鮮半島へ渡る。帰国後産んだのが応神天皇。場所は宇美(うみ)。九州北部に山ほどある地名。

この神功皇后を抑圧したのが明治政府。明治維新正当化のためとつぜん神武天皇を持ち上げる。しかし神武は神功皇后にははるかに及ばない存在。ちなむ神話・地名・神社もほとんどない。祭りも、祇園祭、大津祭、日枝神社の大祭、すべて神功皇后。神武にはいっさいない。しかし、明治天皇でとつぜん持ち上げられる神武。無理がある「万世一系」。明治維新の正当化。創られた歴史。

軍服を着て白馬にまたがり髭をはやして一夫一婦制の天皇。東征伝説の神武を持ち上げ、男系で万世一系という、近代天皇制。そのイデオロギーにとって都合悪い動きが起きる。近代皇后が、神功皇后に肩入れして行くのだ。みずからのアイデンティティを求めて行く。大正天皇のお妃、貞明皇后だ。

1922年、貞明皇后は九州に赴き、神功皇后をまつる香椎宮に参拝。皇后の九州行きは、神功皇后以来初めて。夫の大正天皇は、体調を完全に崩し、裕仁(ヒロヒト)が摂政。天皇はいわば空白だった。そのときに皇后が出て来る。そして神功皇后に肩入れ。政府にとっては大変な脅威だったに違いない。明治政府が築き上げたイデオロギーを崩しかねない。

しかも、万世一系のイデオロギーは創ったものの、歴代の天皇はまだ確定していなかった。神功皇后を天皇とするのかしないのか。最終的には天皇にしない。その決断は1926年。昭和に移る土壇場だった。そうしないと貞明皇后が天皇になってしまう。明治以来創られた歴史を守ろうとした。それ以前の歴史の封印。

しかし、大正天皇が亡くなり、昭和となっても、貞明皇后には皇太后として隠然たる力。昭和天皇にとっては脅威だったはず。

皇太后にはシャーマン的な資質があった。その祈りの力はすさまじい。香椎宮では20分間微動だにしなかった。かしずき、和歌を詠み上げる。神功皇后の霊と自分が一体になったといったおどろおどろしい和歌だ。

果たして昭和天皇は対抗できたのか。昨年、昭和天皇実録の公開、最も面白かったのは1945年の7月〜8月、終戦直前。一般にはこのとき天皇は終戦、ポツダム宣言受諾を決めていたとされる。しかし、それに反する記述があった。

天皇は香椎神宮と宇佐神宮に勅使を送っていたのだ。宇佐神宮は応神天皇を祀る。香椎宮は神功皇后。神功は応神を身ごもりながらの三韓征伐だった。

それが蘇るのだ。この時かつてない激烈な調子で敵国撃破を祈っている。ありえないこと。この期に及んでなぜ。昭和天皇の本意ではないだろう。誰の意向? 皇太后以外考えられない。皇太后が神功皇后の霊と一体なら負けるわけがないということだ。昭和天皇実録で初めて確認できた。つまり、終戦直前まで昭和天皇は母である皇太后にそむくことができなかったのではないのか?という仮説が成り立つ。非常に母親を恐れていたと。」

まさに名誉校長就任前日、まさに夫の安倍首相が大阪で辛坊治郎氏のテレビ番組に出演中、また、近畿財務局で近畿財務局や大阪航空局の関係者が森友学園の小学校建設工事請負業者らと会っているまさにその時、昭恵夫人は神功皇后にいったい何を祈っていたのであろう。

 


 

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「疑惑の3日間」
 
そのときは、安保法制の追及が激しいので大阪に飛んで辛坊氏の番組で辛抱、といいうことかと思っていたが、そーゆー事情だったのか、と思えばオリバー・ストーンと大阪腑に落ちる。

『デモにも負けず』
http://noraneko-kambei.blog.so-net.ne.jp/2015-09-08-1
安倍晋三2.jpg
 


 

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