歌うバイオリン。どことなくポーランドの情緒。
好きだなー。
小品のいくつかはアンコール曲の定番でもあるが
協奏曲ももっと演奏されていい。
優勝したユン・ソヨン(韓国)の演奏:
『カプリッチョ・ワルツ(奇想円舞曲)』作品7
(そこに居て当然なのにいないことで目立つ。なぜかいない。居ないことで存在感。という逆説)
彼女はそこにいない。
エルンスト:「夏の最後の薔薇」の主題による変奏曲
ヴィエニャフスキ:奇想曲 「ラ・カデンツァ」 作品 10-7
ヴィエニャフスキ:「ファウスト」による華麗なる幻想曲 作品 20
ヴィエニャフスキー・バイオリンコンクール、第1回は1935年、ワルシャワ。
優勝はヌヴー。2位がオイストラッフだった。
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今国会で審議中、というか審議せず強引に拙速に採決中カジノ法案で思い出したヴィエニャフスキ。
ヴィエニャフスキと同じようにユダヤ人、バイオリンのレオポルド・アウアーとかピアノのニコライ・ルビンシテインといった巨匠たちも、賭博を好み、一緒にカジノに入り浸った。ヴィエニャフスキの場合はのめり込んでいた。
ヴィエニャフスキ。多作ではないが、華麗な技巧をちりばめ、なおかつ叙情的な美しい旋律に彩られた曲の数々。私の大好きな作曲家のひとり。彼はサンクト・ペテルスブルグやブリュッセルで教えたし、演奏旅行も盛んにしたし、実入りはいいはずなのにいつも文無しだった。
賭博のせいだ。金の工面にバイオリンを手放すこともあったという。大食漢で大酒飲み。健康を害して44歳と早死にしたが、借金を返せないままであった。医師の家に生まれ弟はピアニストで共演もした。境遇にも恵まれ、才能にも機会にも恵まれていたはずなのに、何が彼を賭博に駆り立てたのかは分かっていない。
彼が博打に凝らなければ、美しい曲をもっとたくさん残していただろう。しかし、数は多くても深みに欠けた?博打依存という心の病があったからこそ、人の心を揺さぶるような美しい音楽が書けた?あまりそのような説に賭けたくはないが、同じく賭博狂いのドストエフスキーのような例もある。生きて地獄に堕ちるほど、そこから這い上がろうともがき、救いをもとめ気持ち、崇高で美しいものに憧れる気持ちも、激しいものになるのかもしれない。それが芸術家を突き動かす創造の源となるかもしれないのだ。
日本は何かというと「3大なんとか」なんてのが好きで、いや、確かに日本三大急流の球磨川や日本三大名城の熊本城はすばらしいよ(「ふるさとや地震くるとも知らぬ花」 http://noraneko-kambei.blog.so-net.ne.jp/2016-06-15)、しかし、バイオリン協奏曲も、やれ、ベートーベンとメンデルスゾーンとブラームスだ、いや、チャイコフスキーも加えてほしい、とか、ばかばかしい。
別に3つに限らんでもと思うわけだ。選にもれたなかに、すばらしいのがたくさんあるじゃないか。バイオリン協奏曲、ここのヴィエニャフスキの2曲のほか、浪漫的なのでは私はサンサーンスの3番とかシベリウスとか好きだな。
in of Arethusa